●真白い砂浜のある島●

 

白金の髪の少年の目に光が差し込む。
どれほど眠っていたのだろう。視界には見慣れぬ部屋と……窓の外には海が見える。
起き上がろうとすると、頭がズキンと痛んだ。
―――カチャリ
ドアの音に振り返ると、
「す、すみません、……起こしてしまいましたか?」
申し訳なさそうに、白い猫耳の、白い髪の少女が立っていた。
「ここは、君の家?」
「えと、私の……ではないですが、一応ここの住人です」
どこかに放り出されて、気絶したことは覚えている。けれど……。
また頭がズキンとした。少女があわてて支えに来る。
「大丈夫ですか?ひどく頭と体を打たれたようで……あの船に乗っていらしたのですよね?」
頭に巻かれた包帯を押さえ、少女が指した方角を見ると、白い砂浜に打ち上げられた船の残骸があった。
「あれに……乗ってた?」
多分放り出されたのがあの船だったのだろう。ただし自分で乗った覚えは全くなかった。
それよりも―――
「困ったな……記憶喪失……って言うのかな、こういうの」
少年には自分が何者かもわからなかったのだ。名前も、出身も、年も、家族も。
「……ショックによる記憶障害かもしれませんね。お言葉ははっきりされてますし、会話もできてますし」
とりあえずこのままでは埒が明かないので状況を説明すると、彼女はそう答えた。
「えと、ごめん、それで君は?助けてくれたのも君?」
「私はミシェルと申します。貴方をここまで運んでくださったのは騎士様でした。確か、レオニード様とおっしゃっていました。私は少しばかり応急手当をさせて頂きました」
「そうか……ありがとう」
そうして再び自分のおかれた状況に意識を戻すと、困惑してしまった。何から始めればよいのだろうか。
「お名前も解らないのですよね?」
彼女の言葉にハッとして、電子ウィンドウを呼び出す。身分証明くらいはあっていいはずだ。
けれど、ウィンドウにはエラーの文字が出るばかりで、わずかな期待は打ち破られた。
「これ……不思議な仕掛けですね?なにかの魔法ですか?」
さも当たり前に使っていたものなので、記憶というよりは習慣的に出せたのだが、どうもミシェルにはピンとこない物らしい。
ふと、ドアの方から男の声がした。
「ふむ、気が付かれたようですな、なによりなにより」
白い軍服を纏った背の高い男が腕を組んでこちらを見ている。ミシェルが小さく頭を下げた所を見るに、さっきの話にあった騎士なのだろう。
「レオニードさん……かな?」
「ああ、あの嵐は災難でしたな、少年」
船が嵐にあったこと、どうにかこの島にたどり着いたこと、自分が気絶していたことを彼は話してくれた。
「ありがとうございます、えと……僕は……」
困りあぐねているとミシェルが控えめに口ぞえをした。
「便宜上お名前があったほうが宜しいかと。僭越ながら、その、私の提案で宜しければ……はるか昔この島を救ったと伝わる神様が、貴方様と同じように美しい白金の髪と紺碧の瞳をしていたそうなのです、そのお名前が『ウルス・ラグナ』といったそうで」
神様の名前をもらうのは正直どうかと思ったのだがミシェルがあまりに申し訳なさそうにするので、断るのも逆に申し訳なくなり、結局提案を受け入れることにした。
「そうですか、ではウルス殿、と呼ばせていただきましょう」
レオニードは特に気にすることなくそれを受け入れている。
「私はレオニード・ファンドーリン。ウルス殿と同じ船に乗ってここにたどり着いた一人です」
礼儀正しいたたずまいで彼は淡々と述べる。乗船して無事だった人々はどこか記憶が欠損しているところがあり、レオニードもそれは例外ではないというのだ。
「ただ……ウルス殿が一番重症なようですな」
「ごめんなさい、どうも頭を打ったみたいで……。ってことは船に乗っていた皆も異常に巻き込まれたのかな……」
ウルスが電子ウィンドウのエラーと関連しているのかも知れない、と画面を提示すると、レオニードは興味深くそれを覗き込んだ。
「ふむ……故障……ですかな?私の身分証明は生きているようですが……ただどこにもアクセスはできぬようです」
白い髪の少女はは少し離れた所できょとんとそれを眺めている。やはりそれを知らないような反応なのが気になった。
「ミシェル殿はお持ちではないのですかな?」
田舎ではそれなりによくある光景だ。遺電子の手術施設が建てられない辺境の地ではシステムを埋め込むことなく暮らす人もいるのだから。
「魔方陣の一種かと思いましたが……お二人は魔法使いなのですか?」
……冗談を言っている様子は全くない。本当にここが辺境の地で遺電子の存在すら知らないで育ったのかもしれないと、ウルスとレオニードは顔を見合わせる。
しかしそれにしては彼女の頭には白い猫耳が、そして尾てい骨のあたりには尻尾が付いているのだ。
「魔法だと言っている人間も居ないことはないですが……誰しもが持とうと思えば持てる物なのでミシェル殿も機会があれば」
レオニードの言葉に少女は目を輝かせている。

と、

ドドドドドッドドドドオオオオ!!!!!

階段の方から派手な音が響いてきた。
慌ててドアの外を覗くと階下に小さなシスターの姿が見えた。
「……か、神よ……こ、これも試練なのでしょうかぁ~……」
尻餅をついてなにやら呟いている。どうやら階段につまづき転げ落ちたようだ。
「あ、い、今の……見てました!?…わわわっきゃうっ!!!」
階段の上で自分を見つめている三人を見つけ、慌てて取繕うとして長いスカートの裾を自ら踏んでしまい更に滑って転ぶという失態。
「ああああああぅ……そ、そう!私、ちょっとお散歩に行って来ますね!!」
真っ赤に火照った顔を両手で押さえ、イーリアは外へと飛び出していく。

「元気そうで何よりだ……」
「そう……だね」
なんと言葉をかけて良いかもわからず、せわしないシスターを見送って。
あっけにとられていた空気を仕切りなおすように、ウルスの腹がなった。
「お気がつかれるまで大分時間が経ってますものね、しばらく何もお召し上がりになっておられないでしょう?お食事にしましょうか?」
「あ、ごめん、お願いしてもいいかな……」
ミシェルの提案にしたがって少年は遅い朝食をとることにする。
「では私は少しばかり見回りでもしてきましょう。この島は物騒なようですし、先ほどのシスターが心配です」
そう告げると二人に丁寧にお辞儀をしてレオニードは食堂を後にした。

 

 

「あ……」
門の付近の岩に腰掛けていた作務衣の娘は砦から出てきた軍服の男に気が付き立ち上がった。
あまり人とは積極的に関わるつもりはないが、礼節くらいはわきまえておきたい。
「船では、すまぬ、ぶつかって詫びもできぬままでござった」
突然謝られ、一瞬顔をしかめた男は船でも出来事を思い出すと
「ああ、あの時の。こちらこそ考え事をしていたもので、申し訳ありません」
礼儀正しく頭を下げた。
「少しばかりお話を伺っても構いませんかな?」
レオニードには気になっていることがあった。自分たち以外の生存者が、皆、どこから船に乗ったか記憶にないことだ。
「なるほど、すると拙者とそなたが乗りこんだフォグワールに何か原因があったのでござろうか?」
「原因の出所がフォグワールなのか、純粋にフォグワールにつけていただけなのか……。船を少し調べたりもしたのですが、特にこれといったものも見つからずじまいで」
幽霊船みたいなものなのだろうか?そういえば乗り込んだときに買った乗船履歴も残っていない。というか照会がそもそもできなくなっている。
「拙者、武器鍛冶の修行のため、当てもなく旅をしているのでござる。ゆえに何処行きの船かもわからずに乗り込んでしまってな」
「行き先……ですか。ふむ……生憎とそのあたりの記憶は飛んでしまっているようですな」
行き先がわかれば何かしらの手がかりになるかと思ったのだが、イズミは鍛冶修行のこと以外は覚えておらず、レオニードに至っては自身の目的すらも喪失してしまっているようだった。
「この島の漁業について村人に尋ねたが、人が3人乗れば一杯になる程度の小船での漁業しかしていないようでござってな」
つまり、あのような客船を修理することは不可能だという結論になった。
船のことはこれ以上詮索しても今は手がかりがなさそうだったので、レオニードが話題を変える。
「砦の主に会われましたかな?」
「ああ、礼くらいはと思い、一応ミシェル殿に頼んで会わせて貰ったのでござるが……」
ここの主はウィステリアという研究者風のメガネをかけた若めの男だ。彼は特に興味がない風に"邪魔さえしなければ勝手にしていい"とだけ言っていた。
そして、話題は彼がミシェルのことを『モルモット』と言い放った事に焦点が移る。
「やはりそこに引っかかりましたか」
レオニードは彼の研究とモルモットの関係について気になっている。イズミもそれは同じだった。
「拙者が思うに、『人体実験の被験者』かあるいは『人に見える何か』なのではないかと予測を立ててはいるでござる」
ただ、ミシェル本人にも聞きづらく、ウィステリアに関しては機嫌を損ねるだけだと思ったのでそれ以上は尋ねていない。
「成程。先ほどウルス……あの金髪の少年と共にミシェル殿の様子を見ていた感じでは、確かに本人は"遺電子の手術を受けた"という自覚はなかったように見受けられましたが」
となると、ウィステリアが勝手に彼女を手術した、と考えるのが妥当なのだろうか?
「まあ、我が村でも生まれたときから拙者のように出自で手術を受けたものが知らないまま過ごしたということもありえなくはないでござるからな……」
ミシェル自身が『モルモット』と呼ばれることに躊躇いがないことや、こちらに敵意がないこと、そしてなによりウィステリア本人が『モルモット』という言葉を吐いていることを取っても特に後ろめたいことはなさそうな気はしなくもない。
この先はもっと踏み入るか、自分で何かしらの証拠を見つけるしかなさそうだ。
そうしてこの後、二人は少しばかりの情報交換をし、別れた。

 

 

「はぁ……はぁ……」
あまりの恥ずかしさに森の中をひたすらに進み、気が付けば鬱蒼とした木々に囲まれどちらから来たのか解らなくなってしまった。
俗に言う、迷子というやつである。
「あぁ……神よ……これは……」
もはや、試練メーカーは彼女自身のほうだといっても過言ではない。
彼女の特徴的なタレ目が眉と共に更に下がっている。
「困りました……ここはどこなのでしょうか……」
翳ってきた周囲に不安と恐怖で一杯になる。
―――ちりん
鈴の音が聞こえた。振り向けば
「にゃあ」
砦から飛び出していった黒い羽猫がそこに静かに佇んでいた。
「よかった、ここにいたのですね」
特に怯える様子もなく、猫はイーリアに抱きかかえられた。否、怯えていたのはイーリアのほうで、猫をギュッと抱きしめて神に感謝の祈りをささげる。
「精霊神に感謝致します。この小さな天使様に神の祝福を……」
そういいかけた矢先……
ガサアアアアアアア!!!!!
眼前に現れたのは人の丈の二倍はあろうかという獅子。
「え……」
(神よ!怒りをお静め下さい!)心の中で何度も叫ぶが恐怖のあまりそれを声に出すこともできない。
「グオオオオオオオオオオオッ!!!」
その彼女の心の願いも空しく、獅子はイーリアをめがけて牙をむき襲い掛かってくる。
(助けて!!)
―――刹那。
獅子が地面に崩れ落ちた。目が血走り、口からは泡を吹いている。
「た……助かりましたけど……でも……」
少女は少しばかりの罪悪感を覚える。自分が生きる為にこの獅子が死んだ。シスターとして、これを喜ぶべきではない、と良心が叫んでいる。
怯えながら……でも勇気を振り絞って、獅子の目に手をかざし閉じてやった。そうして胸の前で手を組み、ひざまづいて目を静かに閉じ、冥福を祈る。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
それは冥福というより、罪悪の念。後悔の念。自分がここに足を踏み入れなければ、この獅子は死ななかったかもしれない。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
ロザリオから発した闇が彼女を包み込んでいる。
イーリアが目をユックリと開くと……獅子の亡骸は消えていた。
……彼女は気が付いていない。
木々の隙間から、黒い人影がそっと消えたことを。
そして、羽猫の口元に獅子のたてがみが付いていたことを。

黒い影がポツリと呟いた。
「随分と危ないのが潜んでいるみたいね……」
とりあえずは、少女を助ける為。毒で獲物を死に追いやった。だが毒を飲ませたわけではない。これは能力だ。
影は気が付いている。『自由』を手に入れたにも拘らず。『あれ』を使わずとも能力が使えるようになっていることに。
そして影が差す『危ないもの』とは決して獅子のことなどではない。
影の目には焼きついている。羽猫が一瞬のうちに、その獅子を飲み込んだ現実が。
「さて、あの猫の能力なのか、それとも……」
ふ……と少し愉しそうに。影は少女を見て微笑み、風のようにその場から姿を消した。

 

 

ウィルヘルミナは目を輝かせている。
「紙が!!!神が!!!」
彼女にとって紙は神だ。宝だ。そしてここは宝物庫だ。なぜなら招き入れられた砦には……溢れんばかりの紙や、紙の書籍があったのだから。
メガネを何度も拭いてはかけなおし、目をごしごしとこすっては紙を手に取り、大きく結った三つ編みが振り切れんばかりにオーバーリアクションで頬ずりをしてそれが『そこにある』ことを目を見開いて実感している。
「あ、あの……お好きに使ってかまいませんと主も言っておりましたので……」
若干、ミシェルも引くほどの好奇心ぶりだが、本人はそんなことは気にしていない。
「本当に!?ありがとうございます!!」
合成紙とは少し違った手触りだ。これはおそらく……木や植物の繊維によるものだろう。
なぜそれが解ったのか。……彼女の体には薄青いオーラが纏っている。テンションの比喩ではない。本人は全く気が付いていないが、知らないうちに『ヒストリー・パーセプション』の能力を使っているのだ。
客船では出せなかった能力。それが無意識のうちに発動しているのである。
「さてと……」
数刻は宝の山と戯れていたウィルだったが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
オーラはいつのまにかに消えていた。
お宝の山からすでに地図は入手している。だが、あまりにもその中身が簡略すぎる。解ったのはこの一角が十数件の家がある程度の小さな集落で、離れた場所にそれなりに大きな城下町があるらしいこと、島の半分以上が森と岩山であることくらいだった。
ミシェルや周囲の住人にも聞ける事は聞いた。
正直、住人の反応はあまり良くなかった。変わり者の研究者がまたよそ者を拾ったのか、とも言われた。どうも、この砦の主はあまり他の住人にいい様に思われていない印象だ。
聞きにくいことだったが、ミシェルにそのことについて言及すると
「あまり人付き合いの得意な方ではないので……」
という返事が返ってきた。果たしてそうだろうか?ウィルは疑問に思う。
なぜならば他の誰よりも、彼女に対してのウィステリアの反応が良かったのだ。紙を自由に使ってもいい、というのもその表れだ。
おそらくは。
彼女が彼の研究に、全くといっていいほどに関心を示さなかったことが幸いした。
ウィルヘルミナの興味の対象ははっきりとしている。本人が学者だからということもあったかも知れない。とにかく没頭しているものを邪魔されるのは彼女も好む所ではないから、そのあたりの感覚がウィステリアと一致したのだろう。
当の本人はそんなことはまったく気にもとめずにあいかわらず嬉しそうに情報を紙に書き留めている。
暦を探したが、それらしきものは見つからなかった。聞けばミシェル達はひときわ大きくかがやく星の満ち欠けで時を判断しているらしい。
さらには連絡手段は早馬、伝書鳥という、聞きしに及ぶの物語的な古典的手段だというのだ。
「こういうの、なんていうんでしょうね、もう古代民族といっても過言ではないような……」
ウィルの目は絶えず輝きっぱなしである。
ここへ来た時に自身のメモ帳をなくしてしまったことに地獄に落ちたが如く嘆いていたのがまるで嘘のように。

 

 

娘は張り切っている。
「やっぱり台所は落ち着くなあ♪」
娘は故郷のフォグワールを出て奉公でメイドとして働いていた。
仕えていた"カルドラフィカ家"は相当に古くからの名家だと謳われていて、その名だけなら全世界に知られているほどだ。
伝説の勇者の血を引きし一族の末裔の家だと、特にローゼンクランでは崇められており、国からも象徴として大切にされている。
今や物語という伝承でしかないが、ローゼンクランでは少なくとも神聖な儀式のようにそれが扱われていた。
自分の出自がど田舎なので自身もあまり頭がいいとはいえないのだが、正直な所ここの跡取りはお世辞にも賢いとは言えなかった。
人々が崇め敬うことを良しとしたため、それに慣れ切ってしまい、人を見下し何事も人に頼り切った生活を送っていた。
人を悪く言うことは好まないが、その跡取りの振る舞いに苦しめられた人々のことを考えると辛かった。顔にこそ出さなかったが、申し訳なく思いながらも何もできない自分が悔しかった。
だから、仕事に没頭した。料理や掃除をしている時間が楽しかった。
そんな古い名家は電子化されたこの時代においても、石釜があったり、暖炉があったり、古きよき伝統を保っていたから。
この砦の台所がそれと同じような構造をしていたことには少しばかり驚いた。
「ここも名族の砦だったのかな……?」
そんなことを思いながら、ミシェルに自由に使っていいといわれた食材を調理しはじめる。
宿泊のお礼にと、今日の食事は自分が作ると申し出たのだ。
葉物はサラダに、根菜らしきものと肉は煮込んでミルクシチューにした。
香辛料は解らないものが多かったので、ミシェルに聞きながら、その味を想像しては足し、味見をしながら作った。
ときおり、キールが現れては
「あーら、いいニオイじゃなーい」
といって味見をしていってくれたので、客観的にも安心していいと思う。
パン作りに関しては手伝ってさえもくれた。やっぱり男の人の力はすごい。使ったことのない天然酵母だったのでふくらみが心配だったのだが、力強くこねてくれたのでいい具合に発酵して膨らんだ。
今は石釜で焼いているところだ。香ばしいいいニオイが、部屋中に充満している。
丁度それが焼きあがった頃。
上の階へ様子を見に行ったミシェルが、金髪の少年と降りてきた。
「ランレッタさん、ウルスさんにお食事をお願いしたいのですが、大丈夫ですか?」
「あ、はい、丁度今パンが焼きあがった所なんです。焼き立て、きっとおいしいと思いますよ!」
絵に描いたような美少年がこちらに会釈している。頭の包帯が少し痛々しい。
「お怪我なら、あの可愛らしいシスターさんが治してくれるかもですよ!」
メイドの娘は少年に微笑みかけながら、暖かいパンとシチューを振舞う。
「あ……おいしい……」
少年の顔に明るく赤みがさして生気がみなぎってくる。こういうときメイドとしてとても嬉しく思うのだ。
カルドラフィカ家にはメイドたちの間でまことしやかに"伝説のメイド"の話が伝わっていた。その身のこなしは完璧で、家事は勿論、家のセキュリティに至るまで万全にこなしたという。
そのセキュリティというのがまた奇奇怪怪で、強盗をこらしめただとか、戦争で攻めて来た兵士を一人で追い払っただとか、まことしやかとはとても思いにくい武勇伝なのである。
だが、ランレッタは純粋にその話が好きだった。自分もいつか、そんなすごいメイドになれればと思ってさえいる。
だから、少しでも誰かに喜んで貰えたならば、それはそのメイドに一歩近づいたとそう思えるのだ。
「あの……ボクの顔に何か付いてる?」
あまりに嬉しくて少年をじっと見つめてしまっていた。あの名家では、こんなに喜んでもらえることがなかったから。
「ご、ごめんなさい。おいしいといってもらえたのが嬉しくて」
素直にそう告げると、少年はさらににっこりと笑って応えた
「うん、すごくおいしいよ、ありがとう、えっと……ランレッタ、だっけ?」
「はい、ありがとうございます!ウルスさん!」
二人が打ち解けるまでには早々時間はかからなかった。穏やかで、にぎやかな時が流れる。
が、その時間はすぐに打ち砕かれた。
バンッ!!!!!!!
食堂のドアが勢い良く開かれる。そこにあるのは冷たい形相。
「静かにしろ。追い出すぞ」
氷のやいばのように家主は言い放った。
「す、すみません。ついつい夢中になって」
「ご、ごめん。邪魔する気はなかったんだ」
メイドの娘と包帯の少年が申し訳なさそうに謝ると、家主の研究者はぶっきらぼうに言い放つ。
「……腹が減った。メシにしてくれ」
それを聞いたランレッタは満面の笑みで応える。
「はい!」

ランレッタがシチューを運ぶと、彼はすぐさまそれに飛びついた。
「お口に合えばいいのだけど……」
「まずくはない」
素直ではないが、それでも食べている所をみるとひとまずは及第点といったところか。
「ウィステリアっていい人だよね、僕らの滞在を快く承諾してくれたし」
ウルスが屈託なく、あまりにも純粋な微笑を浮かべてそんなことを言った。
ブーーーーーッ!!!!!
案の定、古典芸能的に……あまりにも典型的な反応で家主はシチューを吹き出した。
「そうです、ウィステリア様はとてもお優しい方なのです」
それに追い討ちをかけてミシェルが本当に嬉しそうに彼の人間性について語っている。
「お前は黙れ!!モルモットの分際で!」
ランレッタはそんな光景に微笑んでいる。ウィステリアは解りやすいほどに、怒りからではなく顔が真っ赤になっていた。やはりウルスの言う様に彼はいい人なのだろう。少なくとも、今は。
「お前も笑うな!!」
そして釘を刺された。けれど、メイド娘はそんなことにはめげはしない。
「女の子にモルモットなんて言うものじゃないと思うのだよ~。本当はそんなこと言いたくないんだよね?」
娘の言葉に金髪の少年も便乗する。
「ウィステリアは優しいんだよ。大事なミシェルに素性のわからないよそ者を近づけないように、わざとそういうことを言って守ってるんだ」
二人の言葉を聞いて苦い顔をした後、ウィステリアの反応が少しばかり変わった。
「……そんなに解り易いのか、僕は……」
ポツリと消え入りそうにかなりゲンナリした様子でとぼとぼと研究室へと戻っていく。
「ウィステリア様……」
ミシェルは心配そうに彼を見つめている。
「やっぱり何かワケがありそうだね?」
訳アリだと解っただけでも十分だろう。今はこれ以上ウィステリアを追いつめるのはやめておくことにした。
ミシェル自身のほうはといえば"言えない"というより"わからない"という風に不思議そうな顔をして首をかしげている。
「……やっぱりウィステリアがミシェルのこと守ってるって印象かな僕は」
「そうだね、私もそれは同感だなあ」
二人は案外ウィステリアの心を開く日は近いのかもしれないと感じていた。

 

 

夜の帳が下りた頃。
二階から外の様子を眺めていたキールは、砦からマントを羽織った人影が森へと向かうのを目撃した。
エルフの特性で視覚は強化されている。闇の中でもマントを見失わぬ自信はあった。
「こんな時間に森に行くのはよっぽどのお馬鹿さんか事情のある人間よねえ……」
つぶやくや否や黒いスーツを乱すことなく森に降り立ち、マントを追う。

 

 

『森が鬱蒼としていて危ないので整地をして道を作ってくれるならありがたい』
集落の住人の一人からのリクエストだった。
彼、ヨーナ・モはこの島の通貨が独自のものだと知ると、仕事をして資金を得ようと試みる。
さすがに道路を作るまでは労力が足りないので、伐採するくらいなら、と引き受けて今に至っている。
トレードマークのバールは船の一件以来、伸縮自在になっていた。折りたたみ式とかそういうことではない。大きさそのものを自分の意思で変えることができるのだ。
念のため誰も居ない砂浜で大きさの限度を測ったのだが、その長さ5メートル。だが質量は変わっていないらしく、重さを感じることなく振るうことができた。
そんなわけで、今はバールを小さくしてポケットにしまい、ミシェルに借りたカンテラを背負い、住人に借りたのこぎりで地道に木を伐採しているのである。
あたりはすっかり闇に包まれている。だが特に帰ってすることもなく、話したい相手もいない。自分には壊すことしかできない。そう、人との関係も。
「よし、これで120本目……」
朝からかなりの数をハイペースで切っては隅に避ける作業を繰り返して汗だくになっている。それにしても、この森はどれだけ広いのか。
「ちょっと一休みしようかな……」
切り株に腰掛けると、風がすっと抜けて行き気持ちがいい。濃紺をしきつめた空にはまたたく星が広がっていて、辺りに明かりがないせいかとても美しく見えた。こういうのが自然なのだろう。
ミシェルに渡された包みを開けると、干し肉と葉野菜をはさんだパンが二つ入っていた。
「サンドイッチか……ありがたいです」
星を眺めながら、パンを口に運んだ。

同刻、森に居た者がもう一人……正確には二人。
一度は砦に保護されたのだが、知らない人だらけでどうにも居心地が悪い。
ヤモリ獣人の姉弟は大きな木の上で寄り添っている。
くぅ、と弟の腹がなった。
もう砦を出てから二日がたっていた。出掛けに住民にトマトのような野菜を貰ったきり、何も口にしていない。
「はら、へったなあ……」
水はどうにか、流れていた川を見つけて飲むことができたが、この辺りの木々は果実がなっておらず小型の動物も見つからないので食料を調達することもできなかった。
砦に行ったときには、ミシェルかメイド服の女が大体台所に居て、目を盗むことが難しく、島の人たちから貰おうと機会を伺ったのだが家の中へ招かれそうになると、咄嗟に逃げた。
住民に敵意はなさそうだが「知らない人にはついていくな」という父の教育もあって知らない人をそう簡単には信用できない。だから、家に閉じ込められるのが怖かった。
「村の人も貧乏そうな感じだったね」
子供の、正直な感想だ。自分たちの住処はそれなりに整っていて、便利であったから。
くぅ……今度は姉の腹がなる。腹が減ってくると、五感が研ぎ澄まされてくるものだ。
「食べ物のにおい……」
そういえば、なにやら向こうの方に明かりが見える。ギコギコという摩擦音も微かに聞こえてくる。
「ゲッコー、いこう」
姉は弟の手を引き、弟は姉の手をしっかりと握った。

ぼさぼさの獲物は……空を仰いでいる。ギコギコは……今はしない。
ぼーっとしている獲物の手から、食物を奪おうかとも考えたが……彼のつりあがった三白眼が少し父のそれに似ていたから……警戒しながら彼の目の前までユックリと近づいた。
だが、獲物は空に見惚れている様で、弟のほうもそれを真似して空を仰いでいる。
「……あんたもキラキラ、すきなの?」
弟のゲッコーは光るものが好きだ。それは父が昔見せてくれた『宝物』の光る石をみせてくれたことに端を発する。だから、姉は獲物に尋ねた。
「うわああああああっ!!」
突然現れた幼子に、青年は驚き飛びのいた。その様子にトケイとゲッコーも驚いている。
……くぅ
またひとつ腹がなった。
「もしかして迷子?お腹すいてるのかな……ごめん、片方は食べかけなんですけど……」
どちらかといえば壁を作ってしまうヨーナ・モだが、さすがにこんなに小さな子供たちまで邪険にすることはできなかった。むしろこんな突飛な出来事だからこそ素直に、接することができた。
自分の空腹を省みず、惜しげもなく二人に振舞った。だから、少し考えて、トケイはパンを受け取った。食べかけを自分が食べ、新しいものをゲッコーにやった。
小さな弟のほうが、何かを差し出している。ヨーナはそれを手のひらにそれを受け取ると、空の一際光る星に向けてそれをかざした。
「綺麗だな……」
「ぼくらの礼なの。とおちゃん、親切にしてもらったら、礼はちゃんとしろっていってた」
「そうか、ありがとう。二人は……お父さんは?一緒じゃないんですか?」
青年はうけとった水晶の様な石を大事に包みにしまい、二人が何故こんな所にいるのか、父親はどうしたのかを尋ねた。
「とおちゃん、さがしてるの。知らない?」
そして姉弟はあの船に乗っていたこと、父親からはぐれたこと、父親を探していることをヨーナに話した。
「君たちもあの船に……。お父さんのことはわかりませんけど、でも二人が無事でよかったです」
二人がパンを食べている間、この島であったこと、船でのこと、少しずつぎこちなくではあったがお互いに話し合った。

 

 

翻ったマントの下に長い尻尾が見えた。
「ミシェル……?」
フードこそ被っていて顔が見えないが、キールはマントの人物の体格から瞬時に彼女を想像した。と同時に。
「うわああああああっ!」
叫び声がこだまして響いてきたのである。
遠ざかるマントと、声のした方向を交互に見て、チッ、と小さく舌打ちすると、止むを得ずマントを追うのをあきらめ声の方へと足を向ける。あの声はおそらく砦に来た船の乗客の一人だろう。
だが、着いてみればなんと言うことはない。子供三人、仲良く食事をしているようだった。
「……やれやれ、取り越し苦労だったかしらね?」
だが、子供たちが心配なことに変わりない。辺りは闇に包まれ、森には猛獣が潜んでいるのだ。
彼は気配を消し、そのまま木の陰で子供たちを見守ることにする

 

 

ぴくりと、トケイが闇に眼差しを向けた。
ゲッコーもそちらを睨んでいる。
「どうしたんですか?二人とも……」
ヨーナにはわからないが、どうやら二人は何か気配を感じているようだ。
姉は弟の手をしっかりと握り、そちらへ歩みを進める。彼らの好奇心は誰にも止められない。
「ちょ、明かりもなしに、危ないですよっ!」
ヨーナも彼らを追って闇に包まれた森を進む。

時を同じくして。
陰に隠れていたキールもそれを感じ取り、その方向へと闇を渡る。
危険があれば子供たちを帰さねばならぬ。守らねばならぬ。彼らには、自分で選ぶ未来がある。
意志を胸に、飛ぶように木々を潜り抜けていたキールが、ふと足を止めた。
―――ぽっかりと。
その一面だけが木々のトンネルのようになって、ドームを作り出していたのだ。
開けた部分に出ぬよう、木々が途切れるギリギリのところで待機する。

少年たちは、そしてエルフの男は見た。
一部だけが天窓のように、そしてその隙間から星の光が差してスポットライトのように『それ』を浮かび上がらせている。
マントの人影が光の先に両の手を伸ばすと、風が舞いフードが剥がれた。
「ミシェル……さん?」
顔は確かにミシェルなのだ。
だがその髪は黒く長く、そして猫の耳は……ない。
彼女はヨーナの声に一瞬振り向き……少し目を細めたが、再び光に向けて何かをつぶやくと強い風が巻き起こり……
「わぷっ!」
風に耐えながら、なんとかその姿を捉えようとする。舞い狂う風は彼女を取り囲み、やがて。
空から、大きな黒い翼を持った何かが舞い降りた。
風のサークルの中で、翼は人に姿を変えている。
「……吸血……鬼?」
ヨーナは目を見開いた。
物語の中の架空の登場人物だと思っていたものが、その象徴的な吸血の場面が、瞳に映っている。
「かぜに乗って、キラキラひかりがとんでる。きれいなの……」
トケイとゲッコーはまた違った印象を受けているようではある。
「さて、いよいよ面白くなってきたわね。だけど……あの子達大丈夫かしら……」
これから起こる出来事への期待と、子供たちへの心配で、キールは複雑な気もちで高揚している。

眼前の光景に目を奪われ、身動きが取れない。
彼らは、その『儀式』が終わるまでただただ見ていることしかできなかった。

 

 

うっすらと開けた瞼に光が差し込んでくる。
すでに日は昇り、すっかり朝の空気に変わっていた。
「あれ……」
―――バールの青年は森の入り口で眠りこけていた。
「むにゃむにゃ……とおちゃん……」
―――姉弟も、入り口付近の木の上で二人寄り添って眠りについていた。
―――黒いスーツの男は……。
昨晩の出来事の後。
吸血鬼の、白いウェーブ髪の貫禄のある男に、少年たちを安全な所まで運ぶように言われたのであった。
その赤い瞳に、まるで魔術を掛けられたかのように、抗うことができなかった。
吸血鬼は黒髪の娘を抱え、どこかへと飛び去った。
あれは、夢か幻だったのだろうか。
答えは……彼女が落としていった、この不可思議な色に輝く玉の首飾りにあるのかもしれない。