●人間万事塞翁が馬●

 

<<2656年、アズーリア某アカデミー内>>

 

齢にしてわずか13歳。飛び級で修士課程に進学している。
通信だけでも勉強にはついていけている。ここへ直接来ても周りは年上ばかりで孤立するだけなのであまり好きな場所とはいえない。
「ほら、あいつだよ、試験1位のやつ」
「あんなピアスじゃらじゃらつけて、タトゥーまでしてるようなやつがなあ」
「ガリガリでやっぱり暗そうなやつだよなあ……引きこもりって噂だし」
やっかみや負け惜しみで無駄に叩かれる。これだから、アカデミーに顔を出すのは嫌なのだ。
昔からこういった人の嫉妬や醜悪な念に敏感で居心地悪く思ってしまい、引き込もって居るのも確かだ。ネットゲームではそこそこ人と関わっているしコミュ症というわけではない……と思う。現実の人間関係がわずらわしいだけだ。
しかし特待生として学費は免除どころか、政府から莫大な援助金が出ている手前、親に問答無用で月に数回エトラスカからわざわざここへ送られるのだ。
今日はタイミング悪く、テストの結果が出る日だった。正直、順位などに興味はないが、成績が悪いと親が悲しむのでやれるだけの事はしている。
内なる声は『キニスルナ』と言っている。言いたいやつには言わせておけばいい。
念が渦巻く食堂で、フードをいっそう深く被って我関せずな装いでノンシュガーのコーヒーを口に含む。
「君、すごいよね、バアル君……だよね?」
そんな念の中、予期せず好意を向けられたのでむせてしまった。
振り返れば、自分と齢の同じ頃の少年が宙の電子ボードに打ち込んでなにやら注文すると、現れたサーモンとクリームチーズのベーグルサンドを差し出している。
「あ、ありがト……」
あまりにも彼が無邪気な瞳をしているので断りづらかった。しかたなくサンドをうけとり、八重歯の目立つ口をあんぐりとあけて一口かじった。さわやかなレモンの風味が口に広がる。
彼のことは…多分知っている。自分程の年齢でここに居るのは、彼と彼の姉だけだ。
「……ラファエル・エレレート?」
「そう。知っててくれたんだ、よかった。皆大人ばっかりで、つまらなくてさ……」
食堂の隅の方で彼の姉が食事を取っているのが見えたが……どうにも機嫌が悪そうだ。多分、彼は姉と喧嘩をしていたたまれなくなり、自分に声をかけたのだろう。
「で、どうしたのかな。なにか用?」
さすがに空気を読んでそれは心にしまっておいた。というより、そこに興味はなかった。純粋に、自分に声を掛けてきたことに興味があった。
「いや、姉さんより頭のいい人がいるのがちょっと嬉しくて」
「?」
確かに彼の姉、アズリエルはほとんどのテストで1位をとっている秀才だ。それは順位表を見ずとも耳に入ってくるし、ラファエルにしても500人の中で常に10番以内には居るはずだ。
ラファエルは声をひそめて耳打ちする。
「姉さん、父さんが居なくなってから保護者面でさ。そりゃボクは体も腕っ節も弱いのは認めるけど、ボクだってもう子供じゃないんだ」
つまり、頭もいいし活発で勝気な姉に頭が上がらないらしく、バアルが上に立ったことで少しばかりだが気分が晴れたというのだ。
「なら、自分で1位をとればいいんじゃないのカナ?」
別段愚痴を聞くのは構わなかったのだが、彼がその姉の過保護からぬけるのならばそれが一番の近道なのではないかと思ってそう助言した。が。
「人がやってくれるなら、そのほうが楽だし。ボクはそこそこの成績でいいし、好きな事やれればそれでいいんだ」
よくいる坊ちゃんタイプかと思ったが、彼の出自を考えればやりたいことをやりたいという純粋な気持ちはわからなくもなかった。
このアカデミーはひらたくいえば能力の高い若者を集めて育成する機関で、バアルもその例外ではなく、このアカデミーはそういった境遇のものがほとんどではある。
だがまれに古くからの名家の貴族や皇族のボンボンが保護対象や世間体維持のために収容されているのだ。ラファエルやアズリエルはとある大会社の御曹司なのでどちらかといえばその傾向が強く、周囲が彼らの前で悪く言う声はほとんどない。
言えば世間から干される可能性があるからだ。それほどまでに、影響力のある家に居るということは行動をそれなりに制限されるのは想像に難くない。
そんな家でさえ雁字搦めにされていて、あまつさえあの姉に過保護にされていたら気が滅入るだろう。
それに比べれば、バアルがアカデミーに来ることくらいは大したことではないのかもしれないと漠然と思った。
そして『いい子ちゃん』だと思っていた御曹司が思っていたより悪戯小僧なことにさらに興味を持った。
「お爺様の秘密の研究施設があるんだ。会社で年数回程度に使ってるみたいだけど、ボクの秘密基地にしててさ。まだ開発途中のデータとかもあるしよかったら遊びに来てよ」
姉にも内緒にしているらしい基地に、何より『秘密』という言葉に惹かれた。だから、バアルは二つ返事で承諾した。
「わかった、いくヨ」
プログラマーとして、元々彼の会社には興味があった。文字通り『彼』の会社だ。父親は蒸発、先日祖父が亡くなり、若干10歳にして彼が継いだ『ネクストヘヴン』というゲーム会社だ。
ゲームだけではなく、グラフィックやシステム産業でかなりの功績をあげており、政府の信頼も厚いらしい。
そこそこの技術があったので興味本位でクラッカー(ハッカー)の真似事をして、会社のシステムに介入を試みたことがあったがまったく歯が立たなかった。
純粋な興味で怒るだろうかと思って彼にその話をしてみたが、犯罪まがいな事をした事実には気にも留めず、ため息をついて返された。
「無理だよ。いくら君が学年トップでも、この分野だけは負けない。本当はもっと自由に遊びたいけど」
それは彼の継いだ『遺産能力』がその自信を後押ししている。相続のことは一時期ラファエルたちのニュースで話題が持ちきりだったほどに、有名な事象だ。
ゆえに。陰口を彼らの前で言うことはなくても、影で、あるいは不特定な場所で言われることは多々あるのだ。直接ではないにしても耳に入ることはある筈だ。
「誰か親戚とかに能力を譲ったりはしないんダ?」
「お爺様の遺言だったしさ。継いだものはしょうがない。姉さんに全部押し付けるのもかわいそうだし、変なヤツに使われるくらいなら僕がもってたほうがいい」
けれど、彼は後を継ぐことに関してはそれなりにポジティブに向かい合っているらしかった。
それがこの混沌の中でちょっとばかり、気持ちが良かった。
「ちょっと!二人で何こそこそやってんのよ!」
頬を膨らませた小さな女傑が割って入ってくる。ラファエルが少し離れた所で目を泳がせているので、仕方なく自己紹介をそつなくこなした。
「ごめん。同じくらいの子が珍しくて。ボクはバアル、よろしくネ」
「知ってる。うちの上層がバアルのことしきりに欲しがってたし。それより……」
なにやら、ぷちアマゾネス様の様子がおかしい。ラファエルのように目を泳がせてもじもじしている。やがて覚悟を決めたらしく、言葉を口にした。
「あの子、ずっと飛び級で友達居ないから。私がいうのもアレだけどよかったら仲良くしてあげて。大人とあんまり上手くやれてなくてね」
齢はラファエルより一つ上だったと思うのだが彼女は思うよりだいぶ感性が大人びているようだ。多分、二人はちょっとすれ違っているだけでお互いに思いやっているようにバアルには思えた。
だから、二人はきっと善い人なのだと思う。
バアルの不健康な真っ白い肌に少しだけ赤みが差す。
「うん、了解」

 

 

ぱっと見は清楚で大人しそうな新卒の社員という印象。だが、彼女はネクストヘヴンの名物受付嬢なのである。
勿論、受付のときはきちんとスーツに身を包んで対応をしている。
では何が名物なのか。
彼女はNPCとして、時折ブラックゲート・サガのゲーム内に現れる『ゲームマスター』の一人である。
そしてその衣装があまりにも官能的なビキニアーマーなので、その受付嬢のときとのギャップがネットに広まり一躍有名になったのであった。
「今日もアーネたんに遭えてうっほうっほだった」
「アーネのドジっこ属性たまらんよな」
「アーネたんは俺の嫁」
ゲーム内外問わず、彼女のファンは多い。今日も掲示板の『アーネ萌えスレッド』は沢山の書き込みで賑わっている。
本名はさすがにまずいと言うことで『アーネ」と言う仮の名前をつけたのだが、これは単純に彼女の名前、アオバ・ネーレの名前と苗字の頭文字をとったものだ。
彼女自身もゲームの世界が好きでこの会社に入ったこともあり、また警察学校を出た経歴もあって、ゲームマスターとしての役割を仰せつかっているのである。
ネクストヘヴン社ではこうやって社員がゲームマスターとしてイベントを行ったり、パトロールをする慣習があるのだ。
アーネの職業、ガーディアンとしてのキャッチフレーズの『きみを守りたい』は、どじっ子属性のせいでもはや"守られる側"になることも定例になっていた。
そんな作り手である彼らと交流することを楽しみにしているユーザーも多い。
現社長も必ず自分自身でゲームが出るたびにゲームマスターを体感しているとの噂すらある。
「社長、お帰りなさいませ」
まさに、その社長が新しいゲームのテストからかえってきたところだ。
マスタールームから社長室までの間に受付があるので、アオバも若社長と顔を合わせることも多い。
「……今日もご苦労様です、アオバさん」
それは社長としてのよそ行きの顔で……子供の顔としては、あまりに可愛そうな印象を受けてしまう。
前の社長……現社長の父親はアオバが入社する前に失踪したらしい。なので祖父が会長と兼任していたのだが、その祖父が亡くなって、止むを得ずまだ少年であるラファエルが会社を継ぐと聞いたときには驚いたものだ。
けれど少年にはそれだけの才能があって、継ぐ以前からすでに飛び級で高等課、修士課へと編入していたし、姉と共に6歳から会社のプログラミングやシステム設計もすでにこなしていたと言うのだから納得はした。
にわかに、信じがたくはあるのだが事実である。埋められた能力の世界と言うものは恐ろしい。
そんな彼がさらに『遺産継承』をしたのでますますもって会社の功績と評判はうなぎのぼりになった。
アオバの給料もあがったので、文句は何一つ言えない。
「ネットゲームでは四六時中問題がおこりますからねっ。社長が自ら視察してくださるのは助かります」
「ありがとう。ちょっと疲れたから、ゲームマスターとしてのパトロール、変わってもらえますか?」
定時をちょっとすぎたあたりでもう来客も来ないだろう。ならば受付の席をはずしても問題はあるまい。
「わかりました、行ってきますっ!!うわうっ」
転んでも、めげない。今日も彼女はゲームの世界へと転移していった……はずだった。

 

 

父親が病に倒れ、同じように政府との取引のある会社との営業権調査の仕事をしていた自分が、電子世界の調査局長代理をすることになってしまった。
政府の管轄とはいえ、所詮一介の公務員。こういうことになるまで、父がそういう仕事をしていることすら知らなかった。
彼はその調査局の総合職で、年齢的に押し付けられただけだと言っていたのだが、実際書類などを見るに父のチェックや修正が多数入っていたところを見ると相当に『できる』管理職だったのではないかと思う。
そしてエリーゼ自身もその日から、ものすごく『監視』をされているような気がしてならなかった。
「企業機密ってやつかなあ……」
政府との具体的な取引内容はかなり闇に包まれている。先方のシステムの安全性やセキュリティなどに関しての書類が提出されているだけだ。
とにかく、今まで自由にやっていた仕事が急に窮屈に思えるようになった。勿論、今まで以上に責任の問われる役職にプレッシャーを感じているのもあるのかもしれない。
「ゲーム会社か……」
エリーゼも遊ぶことは嫌いではない。体を動かすことは好きなので、何度かモンスターと戦うようなゲームを体験したこともある。
だから、決して興味がない現場ではなかった。それでも政府とゲーム会社というなんとなく不釣合いな関係に疑問を抱いてしまう。
「考えても仕方ないか。あとは現場で確かめるしかない」
気を取り直そうと首をぶんぶんと振ると、長い黒髪がしなやかに揺れる。

―――ピピッピピッ
「……はい、エリーゼです」
それは職場からの着信だった。
「……はぁ?ハッキング!?仕事のしょっぱなから、どういうことだよおい!!!」 
あまりの衝撃につい地がでてしまった。彼女がこのシステムハッキングの報告を受けた直後、世界は変わってしまうのである。

 

 

空白の4年間。
13歳からまるで齢をとっていない。といっても、外見が変わらないだけで、中身は変わっていると思いたい。
経緯は一切不明。さらにはそれ以前の生活の記憶はまるでない。唯一覚えていたのは、ワールと言う名前だけ。
この4年、世話をしてくれた人は本当の親ではないし、道端で倒れていた所を助けてくれたのだと言っていた。
その恩の主は探偵らしきことををしていて、行く当てもなかった自分は彼女の手伝いをするうちにその仕事を覚えた。まだまだ発展途上の見習いだと、師匠は言う。
13歳の弱弱しい肉体を補う為に、遺電子を移植した。ちょっとだけ、エルフだった師匠に憧れていたのもある。少し、耳がとがったときは師匠の子供になれたようで嬉しかった。
「ネバーチャイルド」
師匠がつけてくれた、便宜上の苗字である。なぜか、師匠は自分の名を名乗ることはいっさいせず、『師匠』と呼ばせていた。アレは何故だったのだろう。
どこだかもわからない、この世界へ来て『独り』になって、余計に自分の過去について考えることが多くなった。
師匠はどこへ行ってしまったのだろう。そして、今日も自問する。
「私は、何なんだろう?」

 

 

少し大きめのシャツを羽織った少女が、砂地を歩いている。
アデリー・ノワールは空を仰いだ。
「外って、こんなに広いのね……」
彼女は生まれてこの方、家の外へ出た事がなかった。外の世界が存在することを知らないわけではなかったが、父親が極端な人で、大事な娘を外に出したくないとずっと家に置かれていた。
それでも監禁だと思ったことはない。父が一緒だったから。仕事で出かけるときはあったが、ごくごくまれなことだ。食材も市場から届けてもらうほどに出不精の父親だった。
ただ、傍から見れば異様に見えたのかもしれない。たまたま父親が留守の時に、近所の人が募金の回収に家を訪れたことがあった。
父が画家であることはこの小さな村では皆知っていたし、村の中でもさらに奥まった場所にあるこの家の偏屈な男が外からの干渉を嫌うことも有名だった。
父は私が生まれる前は、ずっと母を描いていたらしいのだが、私が物心ついたときにはすでに家に母の姿はなく、母の面影は描かれたキャンバスの中にだけある。
「外へ行くな、ここに居れば安全だから」
事あるごとに、父はそう言っていた。とにかく、外にはいろんな危険があることも聞かされた。
はじめて父が家を留守にするとき、大きなペンギンのぬいぐるみを与えられた。
私の中には、ペンギンが宿っているから、これはお前の兄弟だ。そんなことを言われたので、もうずっとこの子と共に寂しさと言うものも知らずに生きてきた。
言葉の意味がわかったのは齢が十も過ぎた頃だっただろうか。絵本の物語で寒さと言う概念を知ったときに、そういえば、自分が裸でいても寒さを感じないことを不思議に思った。
そしてもう少し齢が進んだころ、通信の教育をうけるようになり、そこでニュースと言うものを知った。
そこで『遺電子』が自分の中にあるのだと、自覚することができた。ただ、ニュースで見たような、動物の外見特徴は自分にはなく、父から言われた以外に自身がペンギンの遺電子持ちだという確証もない。
外の世界に興味を持ち始めたのもこの頃だと思う。
まだ、感情に希薄な彼女は、外への一歩を踏み出したばかり。
人々との出会いでその感情の変化を遂げていくのはもう少し先の話―――。

 

 

一見、清楚そうな民族的長上衣にストレートのパンツ。だが、その色はまるで極楽鳥のように鮮やかで、フリルが派手さをかもし出している。
それに負けじとすらりと高い身長、折れてしまいそうなほどに細身で、流れるような茶のロングヘアと切れ長の瞳は、妖艶さを一層引き立たせていた。
十代の頃はそれこそ女性と間違われることが多かった。それがタスクの不幸を招いた。
ショックのせいか、あまり過去のことは良く覚えていないのだが、日差しの極端に強かったあの日。親が惨殺されたことだけは鮮明に目に焼きついていて、その時に自分も初花を散らされてしまったことも心に刻み込まれてしまっている。
最後に覚えているのは吸血鬼らしき男に抱きかかえられ、空を飛んでいたことくらいだろうか。今となってはこれは夢だったのかもしれないとも思えてしまう。
「ほれ、タスクや。今日はお前がうちに来て十度めの記念日じゃ」
行き倒れ、気がつけば、この老婆の家に厄介になっていた。
とても面倒見の良い人で、自分をとても可愛がってくれた。ただ、すこしばかり年齢的な思考の歪みがあって、タスクを女性だと思っているフシがあり、まるで花嫁修業のように家事の一切から身のこなしまで厳しくしつけられた。
ゆえに、少しばかり……人からはオネエと呼ばれるのだが……物言いも、振る舞いも女性のそれになってしまったところがある。
「ありがとう、おばあちゃん。おばあちゃんの手作りのお菓子、大好きだから嬉しいわ」
そんなのどかな生活を送っていたのだがやはりアレ以来、身を守れぬことが不安で、義祖母に秘密で用心棒の研修をうけたり、修行をしたりして体を鍛えている。
それが役に立つ日が来るとは、まさか思っていなかったのだが……。